学院のあゆみ

学院のあゆみ

History

1948年

(昭和23年)

創立と胎動の時代

舞台芸術学院創立

1948年(昭和23年)舞台芸術学院創立。
校主:野尻与顕  学長:秋田雨雀

焼け跡の残る東京・池袋。すべてはここから始まりました。

演劇を志したひとりの青年、野尻徹。彼は幸運にも復員し、池袋で演劇活動の拠点、「スタジオ・デ・ザール」を開設しました。

しかしその志半ば、彼は27歳でこの世を去ります。彼の演劇への「思い」はここで潰えたようにみえました。彼のあまりにも早い死を悲しんだ父、与顕は息子の遺志継承を願います。

「地に落ちた一粒の麦、徹死して幾百幾千の舞台人となって実るであろう事を」

1948年9月13日、与顕は焼け跡の残る東京・池袋に演劇を渇望した息子、徹の遺志を継ぐべく、私財を投じ、若者が演劇に打ち込むための場「舞台芸術学院」を創立しました。

以来、半世紀以上の年月が流れ、息子から父へと継承された「思い」=「一粒の麦」は、俳優、声優、歌手、ダンサー、演出家、劇作家…わが国の文化芸術を支える幾百幾千のアーティストとなって実りました。

かつて交わされた一組の親子の誓い。
「思い」を受けとめ、願い、育む。すべてはここから始まり、そして今も受け継がれています。

1949年

(昭和24年)

俳優養成を目的とした個人立として各種学校として都知事の認可を受ける

1950年

(昭和25年)

土方与志、副学長就任

1956年

(昭和31年)

第二次校舎落成

1960年

(昭和35年)

第三次校舎落成

1963年

(昭和38年)

浜村米蔵 学長就任

1965年

(昭和55年)

変革と激動の時代

アンダーグラウンドの熱狂と表現の多様化

 高度経済成長期の光と影。学生運動の激化や、既存の新劇に対するアンチテーゼとしての「アングラ(小劇場運動)」が爆発的なブームを巻き起こしました。

伝統的なリアリズム演劇に加え、身体性を重視した表現や、前衛的な試みが取り入れられ始めました。学生たち自身が劇団を結成し、外の世界へ飛び出していくエネルギーが最も強かった時期です。

学院は単なる学校ではなく、若き表現者たちの溜まり場に。当時の学生の中には、後の日本の演劇・映画界を支える異才たちがひしめき合っていました。

この時期、後の学長となる児玉清氏らが俳優として、また教育者として学院の精神を次世代へ繋ぎました。

1969年

(昭和44年)

確立と模索の時代

ミュージカル部(夜間)を新設

1978年

(昭和53年)

児玉好雄 学長就任

1980年

(昭和55年)

新たな挑戦の時代

ミュージカルの台頭とプロフェッショナリズムの確立

バブル経済の到来と、エンターテインメントの商業的成功。劇団四季や宝塚歌劇団によるミュージカルブームが定着し、演劇が「憧れの職業」として確立されました。

従来の「俳優教育」に加え、ダンス、歌唱、ヴォイストレーニングといったミュージカルスキルの強化が図られました。また、映像メディア(TV・映画)への進出を見据えた、より実践的で多角的なカリキュラムへと進化しました。

 第五代学長・永江先生を中心に、学校組織としての近代化と、現場で即戦力となるプロの育成に力が入れられました。

舞台だけでなく、声優やタレント、さらには舞台制作スタッフなど、卒業生の活躍の場が劇的に広がった時代です。

1986年

(昭和61年)

兼八善兼 学長就任

1989年

(平成元年)

専門学校舞台芸術学院設置認可(切替)

1990年

(平成2年)

第四次校舎落成、

兼八善兼 理事長就任

1987年

(昭和62年)

ミュージカル部(昼間)本科を設立

1995年

(平成7年)

永江巌 理事長・学長就任

1998年

(平成10年)

創立50周年を迎える

2005年

(平成17年)

豊島区文化創造都市宣言記念
「文化功労賞」受賞

2006年

(平成18年)

校舎耐震補強および4階部増床

2008年

(平成20年)

第六代学長 野村萬 学長就任、
創立60周年 ステージアーティスト科新設

2011年

(平成23年)

創立60周年記念公演「月にぬれた手」上演

2018年

(平成30年)

創立70周年、

鵜山仁 学長就任

2011年

(令和元年)

創立70周年記念特別公演 「この道はいつか来た道」上演

2026

(令和8年)

舞台芸術学院 閉校